暗黒式雑記群


そして、月光を継ぐもの

リボーンズデイ【月夜の出来事】 /ピンパイ /WIN95(18禁) /アドベンチャー
 「夢見館の物語」がつくりだした幻想的な非実存の世界は、今なお正当な後継を得ることなく漂いつづけている。その後、素晴らしいファンタジー世界を構築したゲームは多い。同じテーマを扱って、より秀逸なシナリオを持つゲームもある。しかし、それらは「夢見館」とは同じものを求めて出発しながら、別の場所へ辿り着いてしまったものたちだ。ゲームの完成度を高めるための説得力を持つ事、「リアル」なファンタジーでは、あの世界は創れない。
 だが、全く別の場所から別の目標を求めた結果、「夢見館」と近い場所に辿り着いたものたちが存在する。その中に、幾つかのPC18禁ゲームがある。
 ある一時期、エロゲーがシナリオの質においてコンシューマーゲームを凌駕した事がある(エロゲーの頂点に立つものとコンシューマーの平均との比較なのだが)。厳しいマシンスペックの制約、ジャンルゆえのゲームシステム構築の限界などの規制と、エロとグロも辞さない自由が、ガキのおもちゃには踏み込めない領域へ一歩先に歩を進ませたのである。徹底して客の願望を突き詰めるゲームづくりは伝えたい要素をストレートに抽出し、表街道を歩けないジャンルゆえの後ろ暗さは陽の光よりも月の影を演出に取り込んだ。そして、絶対の非現実を前提にしたシナリオは、客の陶酔を覚まさない一片の現実味を隠し味に、より幻想的に――
 その結果、生まれたものは一から百までがウソで塗り固められた都合のいい夢でも、世知辛い現実をリアルに映したファンタジーでもない領域。例えるなら、それは一夜の泡沫の夢なのだ。
 ここに「リボーンズデイ」というゲームがある。「癒されぬ傷をもつ者たちと、月光の奇跡による救い」が軸となる物語構造を持つゲームだ。発売は98年5月。「トゥハート」という大型台風が吹き荒れ、未だ復興のめどが立たないエロゲー業界が次のムーブメントを求めていた頃だ。そんな時期にひっそりと、という程でもないが、わりと目立たずに発売された(売れたかどうかは、ここで取り上げるくらいだから解ると思うが、まぁ雑誌に攻略が載って、小説が出る程度と言っておこう)。
 システムは選択肢分岐型マルチエンドのADV。特筆すべきは画像の状態によってメッセージウインドウの大きさと場所が変わる事。絵を避けるように余白にウインドウが表示される。これは画面文字情報量と画像表示量の制御において、ノベル型と従来のADV型、双方の利点を持ったシステムで、コンシューマーの「風の丘公園にて」などでも採用されている。まぁ当然、双方の欠点を持つことにもなるのだが。 グラフィックのレベルは当時のレベルで上の下といったところだが、時々、妙にレベルの高い絵が出るのでハッとさせられる。
 ある満月の夜、普段なら感じない妙な予感によって、なんとなく学校に残った主人公。日常とは別の顔を見せる校舎の中で、彼がよく見知ったはずの人々はやはり日常とは別の顔を見せる。幼馴染の影、後輩の仕草、何時も無表情だった同級生の微笑。何かに操られるように校舎をさ迷う中で目にする不可思議な光景の数々。これは月の光が見せる幻なのか――、というのがゲームの流れ。
 ゲームの舞台となる晩の満月の光は、傷ついた者を癒す奇跡を生む。だがそれは真の意味での救いではない。ゲームの登場人物は(おそらくは主人公も)みな、なんらかの傷をもつ者であり、その傷は決して癒される事はない。月光によってプールの水の中に映し出された影の世界に身を投じ、傷からの隔絶を計っても何かが得られるわけでもない。無為な永遠があるだけだ(このゲームも「あっちの世界」に行ってしまうゲームである。発売日が「ONE」と同じだったのは興味深い)。そして、傷を取り除く事も出来ない。背負った傷はすでに、自分自身の一要素だからだ。結局、傷を抱えて、それを捨てたいと思う心を自覚しながら、後悔し続けても生きていくしかない。
 だから、ゲーム中の主人公の言動はシナリオの根本的な解決には結びつかない。昏い校舎の中で、満月が照らす幻を通して、彼女たちが癒しを求める訳を知るだけだ。やがて月夜は明け、幻が映し出した物語は、幻の中に消える。だが、ゲームが終わる時が本当の意味での物語の始まりになる。語られない真の救いの物語が始まるのである。
 洋館と夜の校舎の違いはあれど(いや、現実と非現実の狭間に立つ点においては等価か)、そこに「夢見館」の幻を見た。そう、あくまで幻だ。だからこそ、月光を継ぐに相応しい。

00/05/21  代


月光蝶

夢見館の物語 /セガ /メガCD /アドベンチャー
「アイドルは作られるものじゃない。それを望む人たちの前にある日忽然と現れて、まわりの期待とか願いとかを吸い取って勝手に大きくなっていくものなんだ」 ――Key The metal idol 第14話より
 けだし名言である。応用性も高い(萌え萌えは――、とかな)。そして、ゲームにも当てはまると思う。無論、製作者たちの才能と努力を否定するものではない。だが、やはり「ゲームの神」とでも呼ばれる存在に何らかの形で愛されたものだけが「名作」の名を冠することを許されるのだ。今回取り上げるのは、そのうちの1つ、「夢見館の物語」――
 93年、次世代32ビット機の足音が聞こえ始めた頃、慢性的なソフト不足に悩むメガCDにおいてセガが、「俺が本当のマルチメディアを見せてやる」とばかりにハードメーカーの意地を見せ付けたゲーム。それが「夢見館」である。CG取り込みによって描かれた謎の洋館を舞台にしたアドベンチャー。バーチャルシネマと銘打たれたその映像はたしかに(コンシューマーでは)誰も見た事が無いものであった。
 ――あのお花畑の楡の木には昔から怖い悪魔が住みついているから、満月の晩には絶対近づいちゃだめだよ。
あんまり長い間光る蝶を見ていると、その人もいつのまにか同じ蝶になってしまうんだよ。――
 4年に1度の奇跡の満月の夜。2人の兄妹が光る蝶に惹かれ、謎の洋館に足を踏み入れたことから物語は始まる。はたして、少年は蝶へとその身を変えようとしている妹を助け出すことができるのか、というのがゲームの流れ。
 基本的には閉鎖空間探索型のアドベンチャーである。洋館の中をうろつきまわって、フラグを立てる。が、そこはやはり旧世代機。フルポリゴンの箱庭を自在に動き回るような自由度は無い。1歩踏み出せば、それに合わせて背景が流れる。プレイ感覚は3Dダンジョンに近い。館の構造も複雑ではなく、部屋数も少ない。オブジェクトも最小限、人間などもってのほかだ。何と言っても画質が粗い。しかし、これらの現在から見ればマシンスペック上やむをえない欠点が、そのままこのゲームの美点を生み出しているのである。
 自由度が無い事は視点切り替えでカバーし、むしろ主人公である少年の視野でのゲーム進行を大きく印象付ける。部屋数が少ないから、同じ部屋を何度も行き来するが、何度も足を運び、部屋の住人と会話する事で人物描写とシナリオの密度を上げている。リアルなオブジェクトを作れないがゆえに、部屋の住人は皆その姿を蝶に変えているという設定になっており、部屋の中をゆっくりと(ここがミソ。本当は蝶はバタバタ羽ばたく)羽ばたきながら会話を行う。話のテーマと合致するし、雰囲気も盛り上がる。姿形が同じだから、当然個性化はダイアログと演技で行うほかなく、しかも成功している。そして、低スペックゆえの粗い画質が、結果として館の非現実性(荒唐無稽という意味ではない)を増している。それは水の中からものを見るような幻想的で倒錯的な光景だ。さらに、これらの映像美を完成度が高い音響が盛り上げる。
 また、当時のコンシューマーゲームの中ではシナリオのレベルも高い。
 蝶に身をやつした館の住人たちはみな、人生に見切りをつけ、人であることを捨てた者たちだ。その理由は、「信じていた夢の挫折」「来るべき未来への絶望」「積み重ねてきた過去の崩壊」など様々だが、彼らに共通して言える事は、自分を否定して人の姿を捨ててなお、人であることを捨てきれていない事だ。その時、他に選択肢が無かったゆえに今の運命を受け入れてはいるが、心の奥には拭い去れない悔いがある(例外あり)。その彼らが、捨てたはずの過去の自分を象徴する永遠の牢獄を飛びながら、自ら望むことなく半ば事故的に館に足を踏み入れてしまった少年へと語り掛ける。妹の救出と脱出のための助言、その裏に隠されたメッセージ。生きる事に傷つき、月光の魔力に救いを求めた人々が少年に伝え、託そうとするもの。ゲームの主人公である少年は何も喋らない。彼らの言葉をどう聞くかはプレイヤー次第である。
 93年という時期、メガCDというハード、当時の技術の限界、しかし、それゆえに生み出されたゲーム。その後、マシンスペックは上昇し、よりリアルな映像をつくる事が出来るようになった。それは、実在の街そのままの光景だったり、この世の何処にも存在しない風景だった。だが、それらの中に、あの時、あの満月の晩に現実と非現実の狭間に揺れるように存在していたあの館の姿はなかったのである。
 だが、今ならば消えてしまった持ち味を今度はスペックが作り出す事が出来るのではないか。願わくば、もう一度、月の魔力で立つ館の姿を見てみたい。
 あぁ? 「新説 夢見館」? あぁ、アレは俺の中では「無かった」ことになってんのよ。

00/05/20  代


復活の時

ハイパーデュエル /テクノソフト /サターン /シューティング
 96年も半ばを過ぎた頃、セガサターンマガジン誌上に2ページである記事が掲載された。内容はテクノソフトの新作STGを2本立てで紹介したもの。リリースタイトルは「ハイパーデュエル」と「ブラストウインド」。余計な紹介を極力省き、画面写真から直接得られる印象を重視したレイアウトは、(サンダーフォースの移植があったとはいえ)STGからしばらく離れていたテクノソフトが再びSTGをリリースすることの(メガドライバーにとっての)意味を如実に物語っていた。だがその時、まさにこれが、テクノソフトの最後の伝説への第1歩だったことに、まだ我々は気づいていなかったのである。
 「ハイパーデュエル」 本来は93年にアーケードでリリースされた横スクロールSTGである。戦闘機、人型の形態の使い分けや細かい得点ボーナスなのでそれなりの評価を受けた佳作ではあるが、世はまさに対戦格闘黄金期、STGが再び僅かながらの日の目を浴びるには翌年の「レイフォース」を待たねばならなかったのである。ちょっと出来がいい佳作STGに生き残る余地がなかった時代。その波に飲まれた「ハイパーデュエル」だったが、3年の時を経てサターンという戦場に甦ることになる。
 月面基地最下層より発見された謎の戦闘機械群。人類によって復元されたその兵器は、高い殲滅能力を有する事から「バスターギア」と名づけられた。
 ところが、最終実験目前に開発スタッフの1人が試作0号機を強奪して逃走。統合宇宙軍は0号機奪還のため、バスターギア1〜3号機を投入する決定を下す。各機とパイロットは、青いバランス重視の1号機「シュツルム・フォーゲル」にキース・スペイダー(野郎)、赤くて3倍速い2号機「ハイ・ムスタング」にリサ・ローランド(ギャル)、白い鈍亀大火力の3号機「ファランクス・スマッシャー」にDr.ブローディン・ロイド(オヤジ)という面子。
 3機は、0号機「ブラック・エンジェル」を追い、敵基地やコロニーを転戦する。途中、0号機とも刃を交えるが、ボス戦では共闘。その後、最終的にはボスにのっとられた(と思われる)0号機と決闘を迎える。つーか、ストーリーよくわからん。ラスボスの正体ってなんなの? なんで、最終面では0号機は一緒に戦ってくれるの? 母さん、全然わかんないわよ。
 サターンへの移植に際して、大幅なリメイクが敢行され、ゲームの印象は大きく様変わりした。洗練されたインターフェイス。かつてこれほどカッコいいオプション画面があっただろうか、いやない。近年流行の文字と線のレイアウトによる演出を持つSTGの元祖的存在である。ディップスイッチを模した必要最小限の情報とアニメーション。以降の「TFX」へと至るテクノソフトSTGの特色は全てここから始まる。
 また、「ハイパーデュエル」の「一時的に武装を強化し敵を一気に殲滅する戦術」を断続的に行う事で得られるゲーム性は、後に「オーバーウェポン」と「ハイテンポボーナス」というアイデアへと昇華される。そう、パッケージの謳い文句にある通り「シューティング変革(メタモルフォーゼ)」と呼ぶに相応しいゲームなのである。
 たしかに「ハイパーデュエル」を評価する言葉は佳作でしかない。出来が良好なのは厳然たる事実だが、単なるSTGの面白さを越えてプレイヤーの心に残るような要素はこのゲームにはない。だが、7点の面白さを求めた時に、8点を返してくれるゲームはの存在は、時に大変貴重なものである。
 ところで、機体選択時とエンディングではパイロットの顔が全然違う。どっちが正しいのか、誰か教えてくれ。まぁ、とにかく描いてある顔という顔が違うのは「サンダーフォース」以来の伝統なんだが。

00/05/19  代

電波チックメルヘン、そして核爆発

プリルラ /タイトー /サターン /アクション
 まずはリンク先を見てください。原画担当の方のページにあるサントラCDジャッケット用イラストがリンクしてあります(タイトーのゲームヒストリーページには名前がない。何故だ?)。絵を見て、思うところあった人は即買いしても損はないでしょう、多分。その際はサントラも一緒に入手する事をお忘れなく(タイトーのゲームはこんなんばっかや)。サントラだけ持ってればいい、という話もありますが……。
 かつては演出系STGメーカー、今では電車運転シミュレーターの会社であるタイトーですが、実はメルヘンチックゲームの第一人者であったこともあります。「フェアリーランドストーリー」や「バブルボブル」シリーズ、そして究極のゲーム(笑)の1つ「ちゃっくんぽっぷ」などがありますね。
 この「プリルラ」はストUが業界を席巻していた91年にひっそりと発売された業務用ACGです。はっきり言って、幻の迷作の範疇に入るゲームですが、ファンは(それなり)に多く、こいつの移植版のためにタウンズを買ってしまった人もいるようです。とりあえずその後、サターンとプレイステーションでエクシングから発売されてます。
 ゲームはベルトスクロール型タコ殴りアクション。システム的にエポックメーキングな点は特にありませんが、業界初のアニメ絵(アニメのような絵ではなく、アニメーションする絵という意味での。近年の格闘ゲームのアレ)で描かれた美しく躍動感溢れるグラフィックと、柔らかく澄んだ音色のBGMが評価が高いゲームであります。
 物語は、不思議の国ラディッシュランドを舞台に、主人公ザック(少年)とメル(少女)の2人が、何者かに奪われた時間のネジを奪還し、止まってしまった時間の流れを元の戻す、というものです。
 ザックとメルの住む街を出発し、水晶の山や砂漠、だまし絵の街などを転戦して、もとの街に戻ってきます。今まで止まっていた人々が何事もなかったように動き出し、スローテンポなメロディーから始まったBGMが、やがてリズミカルな1面BGMのサビに変わっていくエンディングには演出の冴えが光ると言えましょう。
 と、ここまでならまっとうなメルヘンなのですが、このゲームには至るところに奇妙なセンスが炸裂しています。F2基盤の性能誇示のためか実写取りこみのオブジェクトが随所にあるのですが、その奇天烈さと周囲のミスマッチ加減が、電波に命令されてやったとしか思えない雰囲気を醸し出しています。「空飛ぶモンティパイソン」のオープニングが近いでしょうか? 敵キャラも「即身ブーツ」(ボクサーブーツとグローブを着けた即身仏)など、昔のゲームらしい微笑ましいセンスが一杯です。
 とくに極めつけは、2人プレイ時に使用可能となる究極魔法で、発動と同時に画面横から謎の変態(と表現するしかない)が現れ、「ショックのパー」と叫びます。すると画面はラウンド開始時のワールドマップに切り替わり、今いるエリアに起こる謎の大爆発が。あらゆるボスをほぼ一撃でKOする無駄な大威力。最終兵器とはかくあるべきですね(ホントか?)。
 「プリルラ」は、この手のかわいらしい系のゲームとしては、特定のキャラクターの魅力に頼らない珍しいゲームです。それはゲームを構成する要素の1つ1つが不可分として、世界を構成しているからに他なりません。ポリゴン全盛の昨今、よりリアルであることが第一の正義のように叫ばれ、メルヘンやファンタジーは駆逐された状態ですが、ゲームなぞ所詮は胡散臭いガジェットに過ぎないのだから、有り余る技術力は誰も見たことがない映像を作る事に使ってほしいものです。「風のクロノア」だけじゃ、寂しいじゃねェか。

00/05/18  代


愛という字から「心」を取ったら、「受」しか残りません

 最近、久々にスペースオペラでテーブルトークRPGを遊ぶという話が出ているので、参考に「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を借りてきて視た。
 いや〜、勉強になりました。そう、全ては愛、愛なのだよ、諸君。ところで、アナライザーはどうなったの? ぶっ壊れる場面とかは無かったが、最後の脱出艇にもいなかったように見えたのだが……。
 さて、タイムリーなことに昨日の産経新聞に「ヤマトの著作者人格権について、元プロデューサーの西崎義展と松本零士が法廷で争っている」件についての記事があった。
 事の起こりは、プレイステーション版のスマッシュヒットと、そこに原作者として松本零士の名前があったことに西崎義展が噛み付いた事。で、
(西崎説)「アニメの企画書が先だから、製作全体の指揮、監督をしていた俺が原作者」
(松本説)「アニメの企画より先に、おおもとになった漫画を描いている。総監督もやった」
 という水掛け論を展開中。論の説得力で西崎義展、世間的なイメージで松本零士が有利か。
 ただ、どっちが勝っても、2人の現在の状況や言動から見て「ヤマト」のためにはなりそうにない。この一件に限らず、最近の著作権がらみの問題を見ていると、「著作者のために、他人に作品を勝手にいじらせない権利」も大事だが、「作品のために、著作者に無駄に作品をいじらせない権利」も必要なんじゃねーかと思ってしまうでござるよ。 
 裁判では、こーいうやり取りが行われるとオモロいんじゃがのう。
(声、小林 修)「はっはっはっはっはっはっはっはっ。どうだ、わかっただろう。ヤマトの原作者はただ1人、この全能なる私なのだ。商品価値あるものは、その金の一銭まで俺のものだ。ヤマトは全て、我が意志のままにある。私がヤマトの法だ。ヤマトの秩序だ。よって当然、ゲーム版もこの私のものだ。うわはは、うわはははははっ!」
(声、富山 敬)「違う! 断じて違うっ! ヤマトは母なのだ。そこで生まれた利益は全て平等でなければならない。それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だっ! お前は間違っている! それはヤマトの商品価値と寿命を消してしまうものなのだ。俺たちは戦う! 断固として、戦うっ!!」

00/05/17  代


心地よいファンタジー

D 〜その景色の向こう側〜 /ケー・ティー・ファクトリー /WIN95(18禁) /アドベンチャー
 Dと言っても朝日ソノラマの小説じゃないし、ましてや昔アニメージュに連載していたマンガでもない。パソコンHゲーム『D 〜その景色の向こう側〜』である。と言ってもこのゲーム、あまりHでないし、あまりゲームでもない。ただ、ひとつの物語としてみるととても優れているので紹介することにする。

 ……20世紀初頭、(第一次世界)大戦後の欧州。大陸横断豪華特急が原因不明の爆発事故を起こし、乗員乗客の全てが死亡する。しかし、この列車に乗っていた魔女の血を引く少女(この話のヒロイン)の魔力によって、列車は事故の十数時間前に戻される。そして主人公は運命を変えるべく列車の最後尾から先頭に向かっていく……。

 こうしてドラマが始まるのだが、このゲームで特に優れている点が三つあるのでそれぞれについて書くことにする。
 一つ目は、システムが無いこと。
 このゲーム発売前の雑誌の記事などを見ると、「列車の運命を変えるべく同じ時を繰り返す」などとなっている。最近のはやりとして、過去に戻ってやり直すという、アドベンチャーゲームのシステムをそのままストーリーに反映させるというものがあり、『プリズマティカリゼーション』や『インフィニティ』などのゲームで使われている。この『D』もそういった物のひとつなのかと思わせていたが、全然そんなことはなかった。何しろこのゲームほぼ一本道で、たまに思い出したように選択肢が表れる程度のシステムしか持っていない。同じ時を繰り返すといっても何度でもできるわけではなく、三回繰り返したら終わりである(逆に三回は必ず繰り返す)。ただ、周囲の状況や登場人物達の感情と人間関係、これらのことが繰り返される時間の中で変化していく様子はとてもうまく書かれているし、同じことの繰り返しの中で主人公がだんだんと事態を好転させていくさまは見ていて心地よい。
 システムとストーリーをすりあわせるために「同じ時間を繰り返す」というゲームは各所で考えられたが、そこでむしろ一歩引いて、それをストーリーの要素に限定したことが、話に厚みをもたらすことになっている(ま、結果論だと思うけど)。
 二つ目は、ストレスが溜まらないこと。
 マニュアルに登場人物の紹介があるのだが、これを読むと列車内の人々の経歴や目的、他者との人間関係までが詳しくわかる。しかし、ゲームが始まった時点で主人公はヒロイン以外の人々のことは名前さえ知らない。つまりは赤の他人達なのである。さらに彼らは自分たちの都合で動き回り、場合によっては無関係なはずの主人公をその都合に巻き込む(というか主人公が顔を突っ込む)。
 しかし、決して主人公の足を引っ張る存在ではなく、危機的状況にいたると人間の常識と良識に従って協力し合い、むしろ主人公たちの力になる(例外はいる)。また、列車の事故のことを知らされたり、魔法のことを聞かされても取り乱したりせず、おのおのができることをするので、プレイヤーの自由になることがほとんどないにも関わらず、それが不満にならない。終盤戦では(なぜかたくさんいる)軍人さん達が頑張ってくれるので、主人公は何もしないでヒロインと手をつないでいるだけだった(これはこれで大切な役割なんだけど)。
 人間関係が複雑であることが、イコール険悪な関係であることだと勘違いしなかったことが勝因だろう。
 この話の三つ目の、そして最大の魅力はファンタジーだということだろう。
 ゲームやヤングアダルトの小説では、ファンタジーと呼ばれるものはあふれているが、その大半は実際にはファンタジーではない。ではそれは何か。
 ひとつはファンタジーな舞台の冒険ドラマ。魔法や怪物があったとしても、理解できないものではなく、それは世界の中の常識になっている。
 もうひとつはファンタジーと見せかけたSF。つまり、神を高次元存在と言い替え、魔法は超能力とし、妖精はミュータントになる。とにかく、何らかの方法で科学的な説明をしようとするもの。
 不思議なものが存在すること、そしてそれを不思議なままで受け入れること。これがファンタジーと言うものを成立させる要素だろう。この『D』をやってみて久しぶりにファンタジーと言うものを味わった。
 ちなみにこの話の最大の謎は、主人公が何者かという事である。主人公は「サンタさん」とか「長靴を履いた猫」とか好き勝手に呼ばれるが、本人も自分が何者かを知らない(外見はシャーロック・ホームズ16歳なんだが)。ストーリーが進展する過程で彼の正体も探られていくが、結局最後まで明確な答えは示されなかった。その答えはこの物語を読んだ人、ひとりひとりが出せばよい事は個々まで話を読んだ人にはわかるのである。

 あ、せっかくだから攻略でも書こう。気を付けるのは以下の三点。
一、スケベ心は抑える。
一、浮気はしない。
一、人の助言(特に隣にいるメイドさんの言う事)には従う。
 ……引っかかる方に問題がある。

 と、いうわけでこのゲーム、お勧めなのですぐ買って来い、と言いたいところなんだが……、クリスマスの話なんだなこれが。まあ、別に無くなる物でもないから今年のクリスマスまで待ってもいいと思う。もっともそのころには、Hシーンを無くしてプレステに移植、なんて話が出ているような気がする。

00/05/16  東


君に届け、テレパシー(そりゃ別のゲームじゃ)

Treating2U /ブルーゲイル /WIN95(18禁) /アドベンチャー
 はっきし言って、あざとい作品である。 「メジャー進出まであと1歩というところで、何故か病院に入院することになったバンドマンの主人公(病の自覚、症状ともになし)。入院生活の中での様々な人々との出会いと別れ。そして、その想いを綴りつくられる1つの歌――」 病院というある意味で非日常の場所を舞台に、命を毛鉤にして物語を進め、要所を音楽の力で締めれば感動を呼ぶのは当り前田のクラッカー。実にあこぎだ。だ、が、コレはコレでいいのである。あこぎ上等、宇宙ウケ万歳!
 ゲームは主に登場人物の会話で進展し、画面に2人が向き合う形で顔と会話のウインドウが表示される。ノベル型でも単一ウィンドウ型でもない画面レイアウトは(オリジナルではないが)新鮮味がある。キャラクターのバストアップを表示しても結局、顔の表情くらいしか大きな変化がないのなら、いっそ顔を大きく表示し、その分、表情豊かに、という割りきりには好感が持てる。次の台詞まで相手の直前のメッセージが残っているなど細かい配慮も見逃せない。次選択までの(文字通り)ワープなど操作性も良い。システムとシナリオが齟齬をきたしている場面もあるが、致命的欠陥ではないだろう。
 そして、常に会話を行う顔が表示されているという事は、主人公にも顔があるという事である。そう、「Treating2U」は主人公である伊之助のドラマなのである。
 「主人公のドラマじゃない話って何よ?」と言われそうだが、ギャルゲーの場合、その構造上、「ヒロインに主人公が、どう干渉するか」が話の主体になる。複数ヒロインを攻略対象とし、ヒロイン同士の差別化を計れば、当然、シチュエーションの性格も変わる。その全てに対応するために、主人公は自らの位置をニュートラルに置かねばならない。結果として主人公像は(トータル的能力の大小はあれ)均等なスタンスを持たざるをえず、えてしてそれは無個性という形を取る。無個性であるがゆえ、プレイヤーは己を主人公に映し、そして、その反対側にヒロインを映す。そこには「主人公」という個体が本来持つはずの人格がない。主人公であるはずの存在が物語の中枢に位置する事が許されないのだ。ゆえに、主人公の顔はおろか名前すらなくても、話が成り立ってしまう。だからもし、主人公を「主人公」足らしめようとするなら、ゲームの構造を壊さないプラスアルファの要素を主人公に与えなければならない。これが出来たゲームは成功するし、出来なかったゲームは失敗する。簡単な話である。
 で、「Treating2U」だが、先程も書いたように主人公のドラマである。別に、伊之助のエンディングがあるからという訳ではない。それは、「ヒロインが主人公とくっつく話」ではなく、「主人公がヒロインとくっつく事を通して何かを得る話」だからだ。単純で明快な答えである。でも、コレがなってないゲームって結構あるんだよな(ただし、「Kanon」みたいに別アプローチで成功しているヤツもある)。
 伊之助はポジティヴで躁タイプの主人公だが、「トゥハート」の浩之のような潜在的な超人ではない。ただ、音楽というアイデンティティーを既に確立しており、それを拠り所に開いた眼で世界に接する事が出来る。
「自分に自信があるからな」 「納得できるほど大人でもないし、何も出来ないほど子供でもないつもりだ」
 自己を評してこう語るように己の位置付けを見失っていないから、流されず、また過度の同化もせずに周囲に交われる。入院という非日常での出会い。明るさと儚さ、強さと脆さを抱えながら、日々を生き、前に進む、あるいはその1歩を踏み出せずにいる人々。彼らと触れ合い、その背中を押してやる事。共に過ごした僅かな時間の中で、彼らから与えられたもの。かけがえのないものをくれた人のために自分が出来るたった1つのこと、歌うこと――。
 相手の事が好きだから、好きでいる以上のことがしたい。そのための歌、「Treating2U」。

 あるいは、突きつけられた夢と命の2択。絶望から自分を救ってくれた人への最後の想いを込めて――。
「俺の声を、忘れないで、欲しい」
 そのための歌。

 このゲームは、1つの歌がつくられる物語である。だから、その歌をつくり、歌った者のドラマなのだ。

00/05/15  代


はじめにラジオありき

 掲示板でも触れたが、塩沢兼人氏がみまかられたそうな。その話題の絡みで、NHK・FMの「アドベンチャーロード」の事を思い出した。
 「アドベンチャーロード」。10年ほど前にNHK・FMで、月〜金の22時45分から23時までの15分間の枠で放送されていたラジオドラマ番組である。その内容は、何らかの(角川スニーカーや富士見ファンタジアがまだなかった頃の正しい意味での)ジュヴナイル作品を10話程度にドラマ化して放送するもの。今で言えば、ワンダフルの5分アニメか(注 ちょっと違う)。しばらく前に週末深夜の文化放送を席巻していたアニメ系番組内のドラマの走りだと言える。
 昔のNHKは漫画やヤングアダルト小説の無茶なラジオドラマ化が結構好きで、時間枠は違うが、風間杜夫が海江田の「沈黙の艦隊」とか、野口五郎主演で「人魚の森」とか、無理やり前後編に収めた「マージナル」とかを製作していた(「カムイの剣」は聴いてても、さっぱり話がわからんかったが)。おおむね、どれも「原作ファンが聴くと衝撃。ラジオで初めて知った人が原作にあたると仰天」というようなヨモスエなアレンジが秀逸な傑作ぞろいである。
 なんで、そんなもんをまじめに聴いていたかといえば、ひとえに「娯楽が少なかった」からに尽きる。なんせ、当時のわが故郷は「♪この街のメインストリート。無駄に数キロメートル。さびれた本屋さんとゲーセンが2、3軒〜♪」つー有り様。他になんもないわけではないが19時台には店、閉めちゃうのよ。それに、ラジオのNHKは受信料なんてせこい事、言わんしな。
 だが、えてしてヨモスエ大爆発とは言え、時にはそのアレンジ具合が妙にはまっているものも幾つかあった。「空色勾玉」とかは、ラブコメに的を絞った分、(ラストのバカップルぶりには頭を抱えたが)話がすっきりしていたし、「妖精作戦」でのエスパーのヒロインが呟く、「私、普通じゃないから……」という言葉に対する新聞部のサブヒロイン(トゥハートの琴音と志保みたいな感じだと思ってほぼ間違いない)の台詞、
「100メートルを10秒で走る奴、場外ホームランをかっ飛ばす奴。背が高い奴、低い奴。そして勉強が出来る奴、出来ない奴。それぞれに才能があり、欠点があり、でも、みんなおんなじ人間だと思う。普通って何だ? 普通ってなんだ!? ……ここが終着駅、転校は終わりよ。そして出来れば……、私を、友達第1号にして」
 原作とは微妙にノリが違うのだが、ジュヴナイルとしては正しいと思う。
 その後、番組で扱うジャンルがSFやファンタジー中心から若者向け全般へと移行し、聴かなくなっていたドラマ枠だが、今にして見れば、こういう番組があった事が角川スニーカーのカセット文庫やCDドラマなど、メディアミックスの流れの先駆けだったのではあると思う。
 時々、幾つかの作品はもう一度聴いてみたくなることがある。今、聴くとダメダメなのは百も承知なんじゃがな。

00/05/14  代


君は誰を守れるか

 「のび太の太陽王伝説」である。
 何と云ってもCMがかっこよかったのだよ、今年は。
 舞台がマヤ・アステカ(をモチーフとしたと思われる)ということもあって、趣味の域だったし、ポケットが燃えてなくなるという設定も興味深く、かなり期待が大きかった。それだけに一抹の不安もあったのだけど。
 と、いうのはここ数年の大長編は少し“はずれ”が多いのだ。(ある人に言わせるとゴート札だそーな。「年々質が悪くなる一方だ」、てことね^^;)
 そもそも大長編ならではの……てもんがあるでしょう。普段情けないのび太が勇ましくなり、引き立て役としてドラえもんがドジになったり、道具が役に立たなかったりする。ジャイアンは持ち前の情の熱さを発揮するし、スネ夫の人間臭さも大事な役目だよ。あとしずかのサービスカットとか。こーゆー「お約束」がさりげな〜く演出されるから良いのであってさ、馬鹿の一つ覚えみたいに入れりゃあいいわけじゃないのよ。なのに最近の(私が駄作と思う作品の)しずか・スネ夫・ジャイアンの扱いときたら酷いもんである。はっきり言って出している意味がない。
 それとな、大長編といえば主題歌は武田鉄矢なんだよっ! 稀に違うことはあっても、吉川●(ぴ〜)なのやS●(ぴ〜)EEDなんて筋違いも甚だしいっ!
 一部独断が入っているにしろ兎に角だ! この「お約束」がことごとくはずされているんじゃ〜! 最近のは!! 前回の「宇宙漂流記」なんて、まさにそうだったな。あげくにゃ悪役のアンゴルモアの正体が「人の心にすむ暗黒の部分」なんて手抜きもいいとこで、泣けるほどダメダメでござった。映画20周年記念作品だったというのに、まったく情けない。併映の「のび太の結婚前夜」の方がよっぽど良かった。(というか、あれは実にいい。感動ものである)
 そんなわけで少し祈るような気持ちで臨んだ今年だったが、結果は花マルでぐぅ! 面白かった。行って良かった。(おもちゃもしっかり貰ったしねっっ!)
 話のテンポは少し強引なところもあったし、スタッフの愛がジャイアンに偏っている部分が顕著だったけど(しかし観客にはやたらウケていたから、まぁいーか)オープニングからキャラクター個々の役割がしっかり組み込まれていて、素晴らしかった。何より「お約束」がちゃんと反映されてたよ〜。5人ともそれぞれ見せ場があったし。特にスネ夫の見せ場なんて、ここのところホントなかったからなぁ。プロローグの白雪姫の劇の練習で彼が演じる魔法使いは絶品です。しずかも女の子の特権生かして紅一点ならではのご活躍でした。サービスカットはなかったけどね(笑)。そのかわり今回はドラえもん初(おそらく)のキスシーンなんつーものがありました。やってくれたのは、主役を差し置いてゲストキャラの二人。のび太クリソツの王子ティオと世話役の女の子クク。
 このティオという奴がまた単純かつ個性的でいい。日本に来て現代文明の利器に触れては、いちいち喚くベタな反応はもちろん、テレビの手品師と大真面目に向き合ったり、トラックにけんかをふっかけて勝ち誇るなどの馬鹿っぷり。さらに野比家最強人物がママと知ると「ママか。勝負したい」とぬかし、実際勝負してあっさり負けるところなんか実に笑えます。そんな彼は、実は自分の未熟さを嘆き、強くなるために一生懸命な努力家なのだけど、自尊心が強いうえに人当たりが悪いので友達もいない。王子なんてそんなもんだとは思うけどねー。(「大魔境」のクンタックとは類が違うのだよ。)
 それが、のび太と関わって少しずつ変化していく。それまで他人を顧みることのなかったティオが、危機に陥ったのび太を助けるため「友達一人救うことも出来ないで何が王子だ!」と云い、魔女に挑んでいく件に私は思はず泣いてしまった。
 ラストでティオは「太陽王」として即位するのだが、のび太はそれを見届けることなく日本に戻らなくてはならない。ティオと出会った場所で「もう会えないかもしれないけど、絶対に忘れない」と、涙ぐんで呟くのび太。
 再会の約束はなく、向き合って挨拶を交わす別れでもなく、これは「鉄人兵団」以来の珍しいケースで、それだけに新鮮だった。
 そして、日常に戻った五人の会話にタイミング良く入る主題歌「この星のどこかで」。安田祥子・由紀さおり姉妹の澄んだ優しい歌声に、私の感涙は止まるところを知らなかった。(爆笑。でもほんと^^;)
 さて、良いことばかりつらつら書いてきたけどツッコミたいことも色々あるぞぉ。まずオープニングを歌う「ウィーン少年合唱団」。これはどうかと思うなぁ。凝ったつもりなのだろうけど何だかなぁ。どうにもミスまっちんぐでござるな、あれは。しかも発音が……♪アンアンアン、トッテモ、ダイスキ、ド〜ライ〜モン〜〜〜♪て……ねぇ……。(-_-;)
 冒頭で書いたポケットが燃えるというのは、あっさりスペアポケットで解決してしまい、だ〜ま〜さ〜れ〜た〜。見事に期待を裏切ってくれたのぅ。あと、悪役キャラクター多すぎ。そんなに出す必要ない。それから、これは今回に限ったことではないのだが、ゲストキャラ群の顔が気に入らない。(ティオは除く。のび太と同じ顔だから)何か、今までの藤子キャラじゃないような気がする。特にクク! はっきり言ってお前、全然可愛くないんだよ! 他にも良い悪いに拘わらず書き足りないことはまだまだあるのだけど、キリがないからなぁ。百聞は一見にしかずとも云うし、そのうちテレビでやるだろうから是非一度観ていただきたい。
 あ、ちなみに併映の「おばあちゃんの想い出」も涙を禁じ得ない珠玉のドラマです。 しかし「ドラえもんズ」はつまらん。あれはいらない……。

※注 これを真に受けて、「見たけど全然つまらんぞー!」という人がいても 感性は人それぞれ、てなことで、苦情の類は一切受付けませんので 、
あしからず。

00/05/13  殺助


呪われしもの 汝の名はマニア

 セガマニア、阪神ファン、Mac信者等々……。彼らは、同じ呪いをかけられた人間である。すなわち、「絶対に頂点に立つことが出来ないものを応援し続けなければならない」呪いである(時折、「今度こそは!」という状況が訪れるあたりも似ている)。この呪いは簡単には解けない。この世には解呪専門の王子様や教会など存在しないからだ。
 週刊少年チャンピオンに毎週2〜4ページでゲームのコーナーがある。特にチェックすべき内容の記事ではないが、表街道から外れた気楽さゆえか時々、担当の本音がカモフラージュ無しに現れる。昔、それでゲーム開発者からクレームがついた事もある(でもな、「悟空伝説」はけなされてもしょうがないと思うぞ、岡元建三センセイよ)。そして今週の記事の中にセガ信者からのドリームキャストへ意見をまとめたコーナーがあった。その内容を一言で言うなら、
「裏切ったな! 僕の気持ちを裏切ったな!」
 である。(いまさらだな、二重の意味で)
 いや〜、徳間インターメディアがゲームから足を洗い、ドリームキャストFANが廃刊になってから、再び雑誌媒体でセガ信者のアツい想いが見られるとは思わなかった(ドリキャスFANなら、ここから不毛な論争が盛り上がる所だ)。最近は各雑誌ともに日和って、直接セガを批判するような事を載せないんだもの。いやまぁ、言ってもしょうがないからなんだけど。北米版の「デッド オア アライブ」の特集なんか組んで、「日本でも出して〜」なんて言ってる姿勢には涙がちょちょぎれるでござるよ。
 セガマニアには、セガっていう会社がユーザーの事なんかコレっぽちも考えていない事を承知した上で、そのダメダメぶりに病みつきになった奴と、本当にいつかセガがゲーム界の王者になることを信じている奴の2種類がいる。主にネット上に活動拠点を移した前者に比べ、後者はいいかげん目を覚まして数を減らしていると思っていた。だが、やっぱそれなりには残っていたようだ。例の寝返り騒動の時は、テクモとかゲームアーツの掲示板も酷かったらしいしな。
 セガマニア……、この世に彼らほど「サッポロブロイ」が相応しい人間がいるだろうか……。負け犬のビールを手に呟くのだ。
「いい物はいい」、と。

00/05/12  代


境界線上のアリア

加奈−いもうと− /ディーオー /WIN95(18禁) /アドベンチャー
 不治の病に苦しむ妹。幼いときから守り続けてきた妹。あと半年しか時間を持たない妹。日々弱っていく妹。その儚い存在に、兄として何をしてやれるか。

 18禁ゲーム1999年俺的最高傑作(先日Kanonと順位が入れ替わった)のテーマは、”近親相姦”である。こう書くと、引く人は一発で引いてしまうと思われる。それはそれで仕方ない。その人にはこの作品を味わう定めにないだけのことだ。

 もし、この禁忌をただの不快とは考えないのならば、一度だけでもディスクをパソコンにセットする価値がある、そう断言しよう。なぜなら、この作品の”近親相姦”はただの境界線に過ぎないからだ。誰かを大切に思う。誰かを守ろうと思う。その思いが境界を超えただけ。ただの結果に過ぎない。それがただの世迷い言だとわかっていても、許せてしまう。そんな作品である。

 では、なぜそんな風に思えるのか。それは実に簡単なことだが、この作品が実に手堅くお約束で構成されているからだ。兄と妹の禁断の恋。残り半年の命。かつて思いを寄せ、裏切られた少女。死を前に必死に自分らしく生きようとする叔母。そして、自らの生を見つめる妹。これらの構成は、2時間ものドラマなどでもよく見られるものだ。しかし、それらのありがちなお約束を18禁ゲーム的お約束をふまえて再配置することで、兄と妹の10年が一つの悲恋として語られることになる。これもまた、「純愛系美少女ゲーム」という、境界線上の作品故の反語的な美しさなのかもしれない。

00/05/11  Chon


ひとかけらの誤算

サンダーフォースW /テクノソフト /メガドライブ /シューティング
 数あるメガドライブSTGの頂点に立つゲーム。「エレメンタルマスター」で不当に叩かれたテクノソフトが、メガドラNo.1STGメーカーの地位を奪還すべく、意地と執念で世に送り出したゲームである。
 「TFV」に比して2倍のROM容量による面数の増加とビジュアル、サウンドの強化。ゲームシステムにも幾つかの新機軸を加え、前作を踏襲しつつも、新しいゲーム性を獲得。2部構成による新たな敵との戦闘。サンダーフォース新章の華麗なる幕開け……、といく筈だったのだが、現実にはそうはならなかった。
 ゲーム自体には問題はなく、評価も高い。メガドライブNo.1STGの座は今なお揺るぎ無い。縦3画面の幅を持たせた事によって、従来の地形による武装の使い分けにプラスして攻略の自由度を手にしている。後半登場する新武装「サンダーソード」による一点突破は、新しい戦略を遊び手に提供した。確かに「TFV」のような黄金分割的バランスはないが、トータルで見て全ての面でパワーアップがなされている。
 だが、サンダーフォース新章、とはいかなかった。いろいろな大人の事情のはてに、ついに「W」の路線を継承する続編が製作されぬまま、メガドライブはなくなってしまったのである。エンディングでもストーリーの核心的な事が触れられていないため、もはや展開を知っているのは、当時のメガドラ誌の内容を憶えている一部の人間だけである。俺も、かなり怪しい知識しかない。
 オーン帝国皇帝「カウ・ス」の抹殺成功から2年が過ぎた。皇帝を始末したにも拘わらず帝国軍にやられっぱなしの銀河連邦。必死の調査の結果、「カウ・ス」にはサブシステムの「ヴィオス」が存在し、こいつが指揮を取っている事が判明する。直ちに「ヴィオス破壊作戦」を敢行するが見事に失敗。追い詰められた銀河連邦は、伝統にのっとって開発中の高機動戦闘機「ファイアーレオ4 ライネックス」によるヴィオス暗殺を画策する。鉄砲玉に志願(そう、前回はコンピューターが選んだが、今回は志願なのだ)したのは、ステュクスのパイロット、ジーンの親友で銀河連邦随一の実戦派としてその名を知られたロイ・S・マーキュリー、並びにライネックスの開発者でもあるキャロル・T・マースの2人。
 ライネックスを駆る2人の鉄砲玉はオーンの拠点を撃破しつつ、ついにヴィオスを追い詰める。が、まさにその時、どこぞの拳を極めた殺意の波動の格闘家よろしく、謎の機動兵器「バーサス」が乱入。ヴィオスを撃沈する。バーサスはライネックスの攻撃も全く寄せ付けず、量産型ステュクス部隊を一掃してトンズラ。「今のままでは、ヤツには勝てーん」、というわけで、ライネックスは最終兵器「サンダーソード」とドッキングして、新たな敵の追撃に向かうのだが……。というのが、だいたいのあらすじ。
 確かに当初の予定通りには事が進まなかったのだが、そのおかげで「X」が今の形であるのだから結果としては、コレで良かったのかもしれない。
 余談ながら、サターン版では「ステュクスを使ってWを遊ぶ」裏技がある。それまでは、「ブレイドよりセイバー」、「スネイクよりファイアー」という感じでライネックスよりステュクスの方が使えると思っていたが、ライネックスつぇーじゃん! サンダーソード万歳! 

00/05/10  代


黒く塗りつぶせッ!

おせろっと /グレイス /WIN95(フリーウェア) /パズル
 貴方はオセロで遊んでいて、「全部の駒を真っ黒(または白)にして完全勝利したい」と思ったことはないだろうか? あるいは、「××手目で詰み」のように華麗な勝利を夢見たことは? ところが、「殴った、殴られた」という形でゲームが進展するオセロではかのような形での勝利は至難、つーか出来んのか? そこで、そんな貴方の夢をかなえるインチキオセロゲームが「おせろっと」だ。そぅ、リバーシィータクティクス、すなわち、連鎖オセロ!
 「おせろっと」(メダロットみたいだな)では、最後にひっくり返した駒から、さらに駒を裏返せる場合、その列の駒もひっくり返す。そしてさらに駒が返せる場合……、かの様に連鎖的に駒を裏返してゆく。一撃必殺の大量殲滅が可能なため、駒を全て1色に塗りつぶす事も可能、最短で13手という記録もある。
 CPU難易度は低めなので、手軽に楽しめる。序盤で打った布石が後半効いてくる様は見ていて圧巻だ。
 実はギャルゲーなので、ストーリーモードもある。
 生徒会が絶大な権力握る聖ルラール学園。その権力の座を手にするためには、おせろっと勝負で現職を倒さねばならない。
 その胸に恐るべき野望を秘め、主人公、鞠音が立ちあがる。
 今、学園にエロスとバイオレンスの嵐が吹き荒れる!(ちょっと違うがウソは言ってない)
 ベタな展開ながら、きれいにまとめているエンディングには卓越したセンスの良さを感じる。
 それに何と言ってもフリーウェアである。(電話代はかかるが)誰が何と言おうと、この世にタダより安いものはないのだ。

00/05/09  代


悪意と補完

ベルトロガー9 /GENKI /プレイステーション /アクション
 みんな、「ベルトロガー9」って知ってるかい? あ、何かチラホラ居るみたいだけど、大多数は知らないな(W) まあ96年末は他にも色々と発売されたし、その中に埋もれてしまったか。名前をあれにしてれば売れたかも……。このゲームは『キリーク・ザ・ブラッド3』なのだ!(としたかった)
 GENKIの出世作「キリーク・ザ・ブラッド」は、ロボット物の3Dダンジョン型アクションゲームで、今までのゲームに無い綺麗なCGで評判を得て、当時のアクションゲームとしてはかなり売れたと思う。この辺りから、『次世代機』の名前で掛けられた魔法が醒めてきて、ポリゴン表現能力がお世辞にも綺麗では無いし、オブジェクトが増えると処理が重くなるのが目立ってきていたりと、不満が増えてきた。だがゲームメーカーは今更2Dに戻る訳にもいかない。そこでこの際リアルタイムでポリゴンを動かすよりも、別に作ったCGをムービーで流して、見かけ上クオリティが上がった様に見せる事になった。それがGENKI印の第1弾「キリーク・ザ・ブラッド」である。

 「キリーク〜」は実写のSF的な表現手法でムービーを流し、実際のゲーム画面も今までの3Dダンジョンアクションの様に、カクカクした動きがなくなりスムーズなスクロールを実現した。(処理落ちはやはりあったが(^^;) それが好評で「キリーク〜2」まで発売された。
 当時の3D技術はまだ未発達で、ムービーと実際のゲーム画面の表現能力には落差があり、それをゲーム画面で「人間(生物)を出さない」という事でカバーした。機械の鋭角的なデザインは、粗いポリゴンには好都合だったとも言える。
 ただ、これは確かに上手くいっていたのだが、別の部分で問題が出てきた。ゲームでもっとも重要な筈の「システム」である。
 「キリーク〜」のシステムでは、色々な武器を持てるが、実際に役に立つ武器はごく一部、弾などが大量に落ちていても、役に立たない武器の場合はゴミの様に捨てるしか無い。それと敵や部屋の配置にも不満が出ていた。「何で明らかに建物の内部なのに、大口径の砲台が設置されてるの?」「部屋に入った瞬間に敵が殺到して、地の果てまで追いかけて来る」「どうして扉を開けるのに、こんな遠いスイッチを探して一々動かさないと開かないの?」等々。
 一昔前なら贅沢な不満なのだが、これはCGに力を入れる余り、肝心のゲームのシステム的リアル性が欠けてしまっていた為に、出てきた物である。
 そしてそんなユーザーの不満を解消し、期待に応えるべく発売されたのが「ベルトロガー9」だった。

 まず武器のパワーアップ。プレイヤーの任意で各種類の武器を強化して使う。無駄な武器が貯まったりする事は無い。面のクリア条件を「鍵(ID)を探して制限時間内にフロアを脱出」に固定して、無駄に探索する事を避ける。面クリアー毎にあったムービーを廃し、オープニング・エンディングのみに集約。面自体のマップ構成を立体的に変える事で、ただ単に広いだけで間延びするマップを無くす。無意味に戦闘しなければ進めない敵配置を、必要ない場合迂回できる等、数々が改善された。その結果……あれ? これって「キリーク〜」じゃないや(^^;) 特徴と言うのは悪い部分も含めて現れる為、それが無くなった故に別物になってしまった。不幸な事に「キリーク〜」のネームバリューが使えなくなった。完成度が高くなって、「キリーク〜」よりも遙かに面白くなったのに……。

 一応ストーリーもあるが、システムの完成度を高めたら逆に、ストーリー不要でもプレイに支障が無くなった。(ストーリーに関わる情報はプレイヤーの任意で見るシステムになっている) う〜ん、やっぱり別物ですな。
 ちなみにストーリーを単純に説明すると、採掘コロニー”ベルトロガー9”の救難信号を受け、主人公の部隊は出撃するが、そのコロニーは宇宙的な「悪意」に支配されていた……。それを打ち砕くには主人公の精神波を増幅して……って、これってロボットが関係あるの? まあゲームはストーリーとは「無関係」に敵を武器でとにかく叩いて、フロアー脱出!

 う〜ん、「キリーク〜」の時はストーリーで悪意を出さなくても、ゲームメーカーの敵配置に「プレイヤーへの悪意」に満ちていた……(w)

00/05/06  鳴神


アンチクライマックスの美学

密猟区 /ZERO /WIN95(18禁) /アドベンチャー
 愛機PC-9801DA/U2の性能が何から何まで限界になり、うちにWindows95マシンが導入されたのが1996年だったので、このゲームが発売されたのも96年に間違いないと思う。
 当時、エロゲー業界もPC-98からWindows95へとプラットフォームが移り変わりつつあり、PCゲーム全体のスペック要求も上がりつつあった頃だ。「PC-9801VM以上」という表示が「DirectX3以上」に変わる間の過渡期。せっかくWindows95機を手に入れたので、何本かゲームを買ったうちに入っていたのがこの「密猟区」だ。

 ストーリーはこうだ。
「軍事帝国シュラブネルの最前線部隊長である主人公は、敵国首都陥落目前に敵の大反攻作戦に合い部隊は壊滅、2人の部下だけを連れて山間部へと脱出する。傷ついた獣と化した彼らが見つけたのは、男達が戦場にかり出され女達が留守を守る小さな村だった。そして、占領された寒村で暴虐の宴が始まる。」
 早い話が、鬼畜系エロゲーの基本といえるような都合のいいシチュエーションなのだな。ど田舎の寒村なのに美少女しかいないし、主人公は外道な上に何故か超強力催淫剤なぞ携行しているし、村は簡単に外と連絡が取れなくなるし。んで、おきまりのようにあんな事やこんな事が起きるわけだが、この手のゲームの決まりとして、酷い目に遭わされる側の逆転劇を思わせる伏線がそこここに張ってある。村の娘達に同情的な部下とか、村の外へ続く隠し通路とか。いかにも「どんでん」がありそうな感じだ。
 で、一本道のストーリーを読み進んでいくと、いよいよクライマックス、ヒロインがピンチになり、恋仲となった部下の一人が救出に……と思いきや、その部下返り討ちになるし、ヒロイン薬漬けにされるし。挙げ句の果てに村の美少女全員発狂して置き去りだし。

エンディングを見ながらワシは叫んだ。
「なんでやねん!!!」

 これだけアンチクライマックスだと、かえって清々しささえ感じる。

00/05/03  Chon


ターンAガンダム MSどもの荒野

 ターンAが終った。最初から最後まで見ていたが、結局、何がやりたいのか良く判らん話だった。と言うか、別に何か目的があって造った訳ではないのだろう。だから番組全体の評価なんぞできないので、最終回についてだけ書くとしよう。
 最終回、ぜんぜん死ななかったねえ。わざわざ記念写真なんか撮っていたから、そん中の何人かはくたばると思っていたんだが、死んだのはコレン軍曹(あの人も、死ぬときは善人になって死にました)とギンガナム(実は生きていそう)だけだった。富野アニメらしくないなあ。
 生き残った連中はどうか。キースとジョゼフには女房ができた。イングレッサ・ミリシャの連中は再就職をはたした(君ら本当にプライドがないな)。キエルは月でハリー大尉とよろしくやってる。その他の人々もいろいろあるが、幸せになった。でもあんまり幸せでない人もいる。グエンとソシエ。と言う訳でこの2匹の負け犬についてちょっくら書くとしよう。
 グエン三世。私この御仁、結構好きだ(あ、変な意味じゃないよ)。なにしろこの話の中でまっとうに先の事を考えて行動していたの彼だけだったから(と言うか他の連中が考えなさすぎ)。それなのに、あぁ、それなのに、ロランにフラれ、キースにフラれ、ジョゼフにフラれ、ミリシャの連中にも見限られ、メリーベル(こいつも負け犬だった)一人連れて国外に脱出するはめになった。終ってみれば月はキエルに、アメリアはリリーに支配されとった。彼の趣味からすると非常に居心地が悪かっただろう(客観的に見るとそんな悪い状態ではない。そう、かつて木星帰りの自称天才が目指していた「地球圏は女が支配する」という理想が実現したのだ。あれ、こう書くと、とたんに嫌になったな)。
 まあ、自業自得なんだ。およそガンダムっちゅうもんが存在する世界で政治家に必要とされるのは、見識とか信念とか理想なんてモノではなく、愚民をだますテクニックなのだ。現にキエルなんぞはディアナのフリして月の連中をだまくらして、しれっとしてやがる。この業界ではアジ演説の一つもできんようでは政治家としては三流なのだ。グエン君、悪い事は言わないから、政治の世界から足を洗って事業に専念したまえ。
 次、ソシエ。彼女も見事にフラれたなあ。結局ギャバン隊長も死んだままだったから行かず後家になっちまった。まあ、元々ロランにとっては彼女、二の次の存在だったんだけどね。夜中にこっそり家を抜け出して、川に向かって「ドチクショー!」とばかりに金魚をぶん投げるシーンを見た時には、これぞまさしく負け犬の遠吠えと口元に嘲笑がうかんじまった。しかし、話には裏があった。
 ラストのラストでロランは(新妻であるはずの)ディアナ残して寝室から出ていっちまうじゃん。つまり何か、ロランは女王様の「ままごと」の相手しているだけなんか。いやはや、ソシエが「ドチクショー!」と騒ぐ気持ちも良く解る。これだから貴族の女は。つうか、ロランの方に問題があるのか。
 かなりアレなラストに頭を抱え、『星界の戦旗』のラストもこんな風になるのかなあ、と思ってしまう今日このごろだった。

00/05/02  東


祝 今度こそ続編発売決定

超惑星戦記メタファイト /サン電子 /ファミコン /アクション
 来る6月にプレイステーションで「超惑星戦記メタファイト」の続編「ブラスターマスター」が発売されるらしい。いや〜、めでたい。結局メガドライブ版は出なかったからのう。期待してたのに、ドちくしょう。つー訳だから、「ブラスターマスター」は多分、即日買いだ。……でもな、「ごんぽりー」なんだよな、不安……。
 さて、「メタファイト」は「へべれけ」で一発当てる以前、「自分でゲームを作らなければ隠れた名作が多い」と定評があったサン電子から、ひっそりと発売されたゲームである。88年のゲームらしく、宇宙制覇を生業とする悪の帝王に、万能戦車1台で立ち向かう天才少年の愛と感動の物語だ。
 ゲームは、万能戦車「メタルアタッカー」に乗って(降車も可。その必要に迫られる場合もあり)進むサイドビューと降りて進むトップビューのエリアに二分される。メタルアタッカーはさまざまな強化パーツにより、壁への吸着やホバー移動、主砲の強化など多彩な性能を発揮するが、なぜか強化パーツは敵の各面ボスにギられている。強化パーツによる付加性能がなければ先の面には進めないマップ構成になっているので、ボスを倒してパーツを巻き上げる必要があるが、ボスはトップビューのエリアにいるので戦車から降りなければならない。 
 おぉ、懐かしい。ゲームシステムの特徴が、そのまま展開やギミックと一体化して密接な関係を持っている「いわゆるテレビゲームらしいゲーム」だ(「ロックマン」なども、そうだ)。ゲーム進行に必要な作業を遂行する事が、そのまま同時に「メタファイト」独自のアイデアを満喫する事につながる。目的と手段を無理なく融合している。
 軽快なBGMと、快適な操作性。メタルアタッカーの挙動は練りこまれいて、特にジャンプ時の溜めの動作が秀逸だ。トップビュー時のキャラクターはファミコンにしては大きく、サイドビュー時の降車状態と上手く差別化が出来ている。昔のゲームらしく、時間がかかるのが欠点か(最終面に到達するのに1日を費やした事がある)。
 多分、そんなに希少価値があるゲームではないので、買って損はない安値で売られていると思う。「ユーズドゲームズ」とかで取り上げられて値段が上がる前に、見付けたらゲットだ!
 余談だが、取説に書いてある攻略アドバイスの「ステージボスに対しては、とにかく弾をぶち込め!」はひどいと思う。

00/05/01  代

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